ファンタジーを読む②

黄金の王白銀の王 著 沢村凛 ★★★

 

王国を題材にした権力闘争かと思いきや、全く違うストーリー展開に引きこまれた。

二人の王が私心を排して本当に選ぶべき道を考え、選択していく。

木を見て森を見ず、小事にとらわれて大事をなさずとはよくある話。

そしてそのように生きていたほうが楽なのが世の中だと思う。

だが、この物語の二人の王は苦しいけれども、大事を優先する生き方を選んだ。

 

これは立場ある者にだけ求められる生き方なのかと思うとそうでもない。

自身の信念の置き場をなんとするかは一人一人にかかっている。

願わくば、私心に捕らわれないかっこいい生き方をしたいと思うが、現時点では自己実現に捕らわれる自分を恥じる。自己実現が社会に還元できるものとすることで、良い生き方をしたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

ファンタジーを読む①

妖女サイベルの呼び声 著パトリシア・A・マキリップ 訳 ★★★

 

物語の中でサイベルが愛と憎しみを学んでいく。

悔しさ憎しみ、そこから生まれる闘争心や強い気持ちは生きる原動力だと私は思う。

ただ、憎しみの行きつく先を考えたことはあまりなかった。

憎しみ復讐心は最終的には自身を孤独にし、恐怖・猜疑心へと変わっていき身を亡ぼす。復讐心にとらわれるのではなく、今ある愛に感謝して生きる事の豊かさについて考えさせられた。わかりやすい表現でありながらも、幻想的なファンタジーの世界が感じられてうっとりとそしてじわっと来る作品。

 

 

9年目の魔法   著ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳浅羽芙子 ★★

 

ちょっと初心者には難しい。作中には多くの物語が登場する。

「若きタムリン」「詩人トーマス」「金枝篇」「妖精辞典」「ヘンリエッタの家」「ウィロビー館のオオカミ」「喜びの箱」「夜中であるく者たち」「宝探しの子どもたち」「太陽の東月の西」「トムは真夜中の庭で」「木曜の男」「宇宙戦争

これらに、本書を読み解く上でのキーワードが隠されているのだが、全く妖精に詳しくないものとしては、何がどうしてどうなったのかがよくわからなかった。笑

ただ、こんなに無知な私でも次に何が起こるのだろうと引き込まれるのだから面白い作品であることは間違いがない。たくさんのファンタジーを読んで、もっと理解したいと思う一作。

 

 

闇の公子 著タニス・リー 訳浅羽芙子 ★

 

思っていたファンタジーと違ったというのが率直な感想。

愛と夢と希望にあふれた作品を読みたいという人には向かない。また、自身の無知を露呈させてしまうが、文章の流れや単語が難解で難しく感じてしまった。本書に登場する妖魔に翻弄される人間を見るのはつらく思えるが、ただ、どの人間の中にも確実に存在するむき出しの欲望が面白い。妖魔によって人生が翻弄されることは確かだが、そもそもその人間の中に「欲や情念」がなければ破滅には向かわないだろう。

だからこそ、自分の中にある毒を見るようで胸がチクり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~自由という幸せ~「希望を信じ続ける過程」とは「現実を確認するための過程」でもある。

正直、思っていた通りに進んでいない。

 

事業アイデアを形にして、実行して、現実に収益をあげる。

これは全く簡単に進んでいない。

 

うまくいっていないことは「現実」だが、ただ一つ言えることは、アイデアを考え、試作し、検証する過程、それを繰り返すことにものすごく楽しくワクワクしているということだ。

 

その試行錯誤の過程が自由である人ほど幸せだと思う。

 

例えば、「自分にはこれしか才能がないから。」と思う人は、武器が一つしかないのだからうまくいかなくても、一つの武器だけで戦い続けなければならない。一つの武器を極め、信じて、戦い続けることは強さでもあるが、逃げることのできない苦しい戦いになる。

 

一方、「自分には様々な可能性があるのでいろいろ試してみよう」と思える人は、一つうまくいかなくても他のアプローチをとることも可能である。そのほうが気持ちは楽だし、そうしていられるうちは幸せである。ただ、何事も深めたからこそものになるという面もあるわけで、表面的な試行錯誤で何かを生み出すことは難しい。

 

いづれにせよ、自分の自由な時間を自分が必要と思うことに充てられることはとても楽しく、充実している。

 

売れることを夢見る歌手や芸人の気持ちが少しわかった気になる。

 

自分が望む形で、社会から認められ、お金を稼ぐという輝かしい希望があれば、たとえそれがどんなに狭き門だとしても、そのビジョンを信じ続けられるうちはとてつもなく楽しい。

 

人間が生来望む「生き方」というものがどんなものなのか分からないが、このような状態を続けることができる事は確実に一つの幸せの形ではないかと思う。「希望」は人間に生きる力を与える。

 

そういう意味で、実家がお金持ちとか、金銭的な制約がなく夢を追い続けられる人というのは幸せなんだろうなと想像する。まぁ、お金持ちにはお金持ちなりの悩みや制約があるだろうし、彼らが何を幸せとするのかはわからないが・・・

 

一般の人にとって「希望を信じ続ける過程」というのは、「現実を確認するための過程」でもある。

 

6年10カ月のサラリーマン生活の中で、私なりに自身の欠点と向き合ってきた。配属された部署になじみ、必要なスキルを身につけ、仕事における目標を達成するために間違いなく努力してきた。

 

しかし、入社時から心の中にはいつも、私はここにずっといるわけではない。やるべきことがあるのだ。ここだけが私の居場所ではない。もっとできる事があるし、輝ける場所があるのだという思いがあった。

 

一生懸命やっていたつもりでも、その「希望」がどこかで真剣に仕事に向き合えない自分を生み出していたように思う。

 

私は今、仕事を辞め、自分の時間を思い通りに使える。これまでの「言い訳」のすべてを実行できる環境にある。私の貯蓄が許す限り、私は「希望」をもって、ビジョンを信じ、追い求めることができる。

 

この環境は私に間違いなく「幸せ」を感じさせている。

 

と当時に、この自由な時間をもってしても、ビジョンを現実化できなければ、「ビジョンはビジョンに過ぎなかった。」という現実を受け入れなければならない。

 

現実を受け入れるということは、「言い訳」をすることができないということである。

 

私がサラリーマンに戻るとき、もう以前のように「私がやりたりことはここにはないのだから」と言い訳することはできない。サラリーマンにおいて何を達成するのか、新しい目標の設定を迫られるだろう。言い訳できた過去と、言い訳できない未来では言い訳できない未来のほうがより苦しいとも思う。

 

だけれども私はこの道を選んでいることに一切の後悔はない。

 

多くの場合、現実を直視して、それを乗り越えた先にある実りは大きいと思うからだ。

 

現実を受け止めず、自分の実力や実際にのぞむ欲望から目を背けていては、いつまでも変われない、覚悟が決まらない、成長できない、欲望を達成することができない。

 

だが今私は、「希望を信じ続ける過程」にあり、この過程は大きな「幸せ」を実感させるものである。この幸せを明確に感じとれていること自体人生における大きな収穫だと思う。

 

同時にそれは、「現実を確認するための過程」でもあり、この過程が終了するとき、現実と対峙する瞬間が訪れる。

 

現実はともすれば辛いものになるかもしれない。

 

だがその時、まず私に必要なのは現実に向き合うことで、その現実をもとに、次の向こう10年をどんな覚悟をもって生きるのかを決めることになる。

 

決めたことに対して、言い訳なしにそれを実行できるのか、そこで初めて自身の真価が問われるように思う。

 

その施策の第一段階にある。この幸せを感じられる時間を大切に、行動を続けたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起業計画白紙か!?行き詰まり・・・

国産冷凍フルーツの輸出に向けて、企画を進めていたのですが・・・・

 

やや挫折を感じています。

 

現状は次の通り。

 

①業務用冷凍フルーツの卸し

⇒完全オリジナルの業務用フルーツ詰め合わせを作る場合

最小ロットは原料500キロ~。販売先がない状態で在庫を抱えることになるし、在庫の保管先にも費用が掛かる。差別化もしにくい。

 

⇒すでに販売済みの業務用フルーツを海外に販売する場合

購入できるところはあるが、差別化できる商品でないので大手が参入したらその時点で終了・・・運送費が価格の半値以上を占めることになりペイしない。

 

OEMで国産冷凍フルーツを使った商品を開発する

オリジナルスムージーなら100食から作成可能。ただし、スムージーのサブスクサービスの会社はたくさんある。売り先がない状態で商品の在庫と保管費をかけることになる。BtoBなら可能性があるか検証が必要。

 

③海外への運送の問題

小口の国際クール宅配便はヤマト運輸と郵政EMSで行っていた。

しかし、コロナの影響でアジア方面の取り扱いは停止中。

 

仮に利用できたとしても、10キロ運送する場合の価格が商品価格の半値以上を占める。

全く利益が出ないことが判明・・・・

 

④展示会での商談

仮に商品ができたとして、販売してもらうために商社に商品を取り扱ってもらったり、海外の小売店に取引をしてもらわないといけません。展示会への出店は一般的な方法の一つですが、出店費用と準備で50万~100万程度の費用が必要です。

 

 

国産冷凍フルーツの海外への販売については、以上の検討を踏まえると今始めても勝算が少ないビジネスのように思われます。さてここからどう進めていくべきか。

 

 

ここまでいろいろ検討してきて、「商品」を一から作って販売するってとても難しい!

そして、コロナにウクライナ問題による原油高と地政学的リスクにも影響される。

 

このような世の中の混乱の中で、様々なリスクを事前に想定したビジネスモデルにすることの大切さ心に刻みつつ、改めて見切り発車で会社辞めたな私・・・笑と実感するのでした。

 

1、国内向けに冷凍フルーツを使った商品開発をして販路も作っていく。

2、国内向けにヘルシースナックのBOXを作成し販路も作っていく。

3、すべて忘れて新しいサービスを考える。

 

ここにきて、「そもそも私何がやりたいの?」「社会にどんな価値を提供できるの?」とう「問い」にもう一度立ち返る必要性を感じています。頑張れ私!

 

 

 

 

 

 

 

 

食の展示会巡り第二弾

 

これまで2回の展示会に参加して、

扱いたい商品の方向性と情報が集まってきた。

無添加のお茶

無添加の植物由来のお菓子

これらの中から具体的な商品を決めていきたい。

 

そして今日の展示会では新たな可能性としてフローズンフルーツのブースを確認した。

冷凍のフルーツというと、

・甘さが少ない

・硬すぎて歯が立たない 

・価格がそれなりに高い  等々

 

あまりポジティブな印象はなく、当然新鮮なフルーツを買うことが多かった。

 

しかし、最近の冷凍フルーツは一昔前と比べると格段においしくなっている。

フルーツの状態をできるだけ壊さずに冷凍できるようになっている。

 

もともと冷凍だと

・自分の使いたいときに調理できる

・保存可能期間が長い

・少量ずつ様々なアレンジに使える

 

といったメリットがあるため、ここに「おいしさ」の要素が加わってくることは用途の可能性を広げるものだと思う。

 

商品化するにあたっては冷凍フルーツをどんな商品として提案できるかというところが重要だと思うので、冷凍フルーツを使ってどんな「付加価値」が生み出せるか、「発送品」どのように抑えられるかを引き続き検討していきたい。

 

 

 

 

 

会社を辞めた3か月を振り返ってみる。

1月末~2月頭にかけて、ちょっと中だるみのような時間です。

 

経営者の方とお話して、頑張らなきゃ!と思う一方で、実際には何も進んでいないという状況があり、気持ちがズーンとしてしまいました。

 

そして、会社員と違って、ズーンとしていても時給は入ってこない!

 

完全に無職で収入がないのに、社会保障費は出ていく・・・・

分かっていたことではありますが、焦りを感じます。

 

そこで、あの時給をもらって働いていた日々が、私の人生にとってどのくらい価値があったか、また社会にとってどの程度価値があったかを簡単に考えてみました。

 

■30歳既婚女性、大手企業で毎月25万、ボーナス残業込みで年間600万程度を稼ぐ

⇒大手企業という利益を生み出す仕組みの一構成員。

 

>自身から見た会社員時代の仕事の価値:低

理由:会社の中においても、スタッフ部門なので利益を生まないし、正直やってもやらなくても世の中に対するインパクトはたいしてない。

 

>自身から見た目の前の仕事の意味:低

理由:女性で働きながら子育てをしてそれなりの給料をもらうというお金と生活の安定という意味では、仕事の自体の価値に対して十分な給料をもらっていた。

ただ、その仕事自体は、完全に私にとって意味がない、これ以上私の貴重な人生の時間を使うのがあまりにもったいないと思っていた。(会社の構成員として社会に対して価値を発揮で来ている、もしくはできていなくても給料がもらえればいいと思う人はよいが、私は思えなかった。これ以上一分たりとも意味がないと感じることに時間を使いたくなかった。)

 

>社会にとって、政府から見た国民としての価値:中   

理由:会社を通じて税金を納めることで、社会基盤の安定に寄与している。

 

以上のことから、やはり会社を続けることの意味は私にとってなかったと思います。

社会の構成員、国民としては不満もないのに何辞めとんじゃー!って感じですが。

 

会社を辞めた時も特に当てがあったわけではないので、今スグにサービスができないということも、ある意味想定の範囲内ではあります。笑

 

ただ、この貴重な時間をやっぱり無駄にはしたくないので、気を引き締めて少しでも前進させていきます。

 

何も進んでいないようにも思えますが、辞めなかったらできなかったことはできています。

 

例えば、経営者の方とお話する、貿易関係の知識がつく、英語の学び直しができている、平日開催される展示会で商品を発見する、意味があると思えることに時間を伝える。

 

ネガティブになっても仕方ないので、できていることに目を向けるも必要ですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

シンガポールのフルーツ需要をリサーチ

 

シンガポールに日本の食を広めたい!という方と偶然出会い、

シンガポールにおける日本食拡大の可能性について調べてみた。

 

特に「日本のフルーツ」これをシンガポールで販売する可能性について、

調べを進めると日本各地から輸出はすでにおこなれている。

 

しかし、もともとも果物価格の高さと輸送費のせいでどうしても割高になってしまうため、主な取り扱い先は高級百貨店となっており、拡大の余地はありそうなのにすぐには実現できていないという課題がある。

 

そして、初めて貿易を始める身としては、少量でも傷みやすい青果のフルーツを商品とすることのハードルを感じている。

 

美味しい日本のフルーツ×新しい販路×輸送費の圧縮×輸送技術

これをどうにか実現する方法をもう少し探ってみたい。