ロジカルな説明と「納得」について考えたこと。

最終出社日から28日目

 

自分が実現したいことを形にするために、人に説明する機会が増えました。

そして、説明に対して、「なぜなのか」を尋ねられることが増えました。

 

この活動の中で私は「自分の思いを言葉にするのが苦手」であることに気づかされました。

 

ロジカルな人は、自分がやりたいことを整合性が合うように説明するのが得意です。その説明を聞いた人は、中身や思いがどうかにかかわらず「納得」します。さらにロジカルな説明に”思い”をのせて語ることができれば、聞いている人の「納得」はさらに深まり「感化」されます。

 

たくさん考えて、思いを伝えても、それがロジカルでなければ人は「納得」しません。「納得」しないと、発言者の意見・考えを聞き入れようとは思いません。

 

この経験から考えたことは、次の3つです。

・人に協力を得たいときに「納得」できる説明は有効

・しかし、意見をもらう段階では正直「納得」させることは不要。いろいろな角度から検討するときに、切り口よって根拠は変わってくるので、整合性が通るように「なぜ」にすぐさま回答できなくても、気にしなくてよい。

・ロジカルであることと、自分が真に思っていることは一致しないかもしれない。ただ、日ごろから相手を納得させるロジカルな説明ができることは、役立つことが多いので出来るようになるとよい。

 

ロジカルな人にロジカルな突っ込みを受けてうまく答えられず、それじゃあダメだと気落ちします。でも、ロジカルな説明ができることは一面では正しいですが、ロジカルであることと=正解ではないと気付きました。

 

人は「なぜ」なのか知りたがります。ロジカルに説明するのが苦手な人にとって、「なぜ」を説明するのは時間がかかることですが、「なぜ」を説明する必要があるのは極論人から協力を得たい、人を動かしたい場合のみでよいのです。

 

「なぜ」の論理を固めることよりも、何か一つ仕事を進めたほうが良いですが、会社でもどこでも、この「なぜ」を説明することに時間をとられます。どうせ時間が取られるのであれが、素早くロジカルに回答できることは時間短縮のスキルとして、身につけたいです。でも、それは一側面であって本質ではない。

 

このように考えることで、自分の不得手と向き合いつつも、でもそれは落ち込むべきことではないと思えるようになりました。